小堀遠州 遠州好み

遠州好み

 天正16年、大和郡山城内で開かれた関白秀吉の歓迎茶会で、10才の折利休に出会い茶に目覚める。15才で古田織部の弟子となり、偉大な二人の茶人から学んだ茶道の系譜を引継き、やがて独自の世界を開く。 『中興名物』の選定、遠州好み窯といわれる高取、志戸呂、丹波、膳所などの茶陶の指導にもあたり、自らの意匠による茶道具の注文を行った。それは遠州切形と呼ばれ、型・色・陶土質まで細やかな指導がされている。 その好みを代表するものとして、面取・瓢箪・耳付・前押・七宝文・菱・箆どり等が挙げられ、茶入・茶碗はもとより、茶道具全般の多岐にわたっている。

堅手 十文字高台 茶碗   

katate.jpg高さ8.3・ 口径14.3・ 
 李朝前期に朝鮮で造られたもので、井戸や熊川(こもがい)茶碗と違って磁器質で土、釉とも堅い感じがするため堅手と呼んだらしい。
 形は井戸風の開きかげんが多い。この茶碗は熊川形のようにやや端反りで、まことに端正な形姿をしており、釉調もおだやかに、あたたかみを感じさせる茶碗である。 高台を十文字にキッチリと取っており、堅手茶碗の中でも珍しい作行のものである。
 遠州家に伝世したが、宗中最晩年に箱を新調した。内箱蓋裏の文字は宗中最晩年の筆跡で「大原や小塩の山の横がすみ 立つは炭やく煙なるらん」と自詠歌が添えてある。


宝珠 香合  

houju.jpg高さ4.6・ 左右口径16.2・ 胴径7.0・ 底径5.5
 遠州が寛永15年(1638)60才(還暦)のおり、お出入りの塗師、道志に作らせた好みの香合である。 道志の共箱になっている。
 造形と色彩の調和に遠州の綺麗さびが窺える。寛永15年は品川の東海寺に茶亭が出来、家光に茶を献ずるなど多忙な年であった。


朱 糸目瓢箪 茶器   

hyoutan.jpg高さ7.3・ 上部胴径6.1・ 下部胴径6.9
 糸目は遠州好みであるが、この瓢箪形茶器はやや太めが本歌で、糸目の細かいものは時代が違う。
 また、径上部の黒漆の点の所に茶杓を のせるのが定めで本歌はやや直径が大きい糸目をつけた瓢箪形で、姿と朱の色彩の美しさが、いかにも遠州らしさを思わせる、好みの茶器である。 中は真塗としているのも、見事な調和である。
箱は遠州家8代宗中が書き付けている。


遠州作 茶杓 銘・虫喰     

msushikui.jpg長さ18.0 
 筒に遠州が「虫喰」と書き付けた茶杓であり、遠州茶杓の代表作の一つである。節のところの小さな虫喰あとの様な 穴が見所になっており、それが命名の由来であろう。
 遠州の茶杓では共箱のものは大変少なく、この茶杓が、内箱蓋表に「むしくい 小遠江守作」と記している。「遠州蔵帳」所載。


志戸呂 耳付 水指   

shitoromizu.jpg高さ12.1・ 左右口径16.2・ 前後口径15.6・ 耳付径18.2・ 底径15.6
 志戸呂窯の茶陶製作は遠州が徳川家康の居城・駿府城作事に関係した頃からと考えられるが、寛永年間(1624~44)に至って茶陶の製作が盛んになった。
 素朴な釉薬と土味のある志戸呂で遠州は、茶入・茶碗・水指などを指導作成させた。志戸呂窯への注文は殆ど切形によるものと推定される。
 この水指も遠州の好形によって焼成されたもので、たっぷりとかかる志戸呂特有の釉薬が美しく、小振りながら重量感のあるものである。 徳川中期以降の作品には「志戸呂」の刻印が捺されている。


高取茶入 銘 下面    

sitamenL.gif高さ7.2・ 口径4.0・ 胴径6.6・ 底径4.2
 遠州好みの特徴の一つに面取りが上げられるが、この茶入にはその好みが最も顕著にあらわれている。 高取茶入は遠州が指導した国焼の中でもっとも多く中興名物に取り上げられており、この茶入は遠州高取として絶頂期であった白旗山窯で造られたものである。
 腰から畳付のキワに面が取ってあり、銘となった。面のあたりは土見せとなり、その精製されたキメ細やかな見事な胎土が見所であり、その土味をこの面取が極めてスッキリとした美に昇華している。 更に、二段にかかった釉薬が極薄く、普遍的な美の世界を表わしており、いわゆる綺麗さびの典型ともいえよう。

 内箱書付は遠州家2代目備中守大膳宗慶で「下面」と記している。 仕覆は3つ(雲生寺切・珠光緞子縫合、紹巴、黄緞)である。


遠州切形 信楽茶碗     

sigarakiL.gif高さ6.7・ 左右口径13.7・ 前後口径13.5・ 高台径5.0
 遠州指導の信楽焼といえば、「花橘」とこの切形の一類がある。 この茶碗は高取や志戸呂などにみられる形と同じで、平天目形の一部を押さえ込んだ姿であり、俗称「スッポン口」という。遠州信楽の特徴である漉し土で作られたものの中でも、極めて薄く作成されている。
 遠州が注文した当初のものと、後の遠州家8代宗中の頃に再び注文されたものがあり、この作品は後期のもので、箱書付は宗中筆蹟である。


七宝地文肩衝釜 五郎左衛門浄清作    

kamaL.gif高さ18.6・ 口径11.5・ 胴径18.6
 高い甑口に七宝繋文をめぐらし胴にも大きな七宝文を散らしている。 七宝文は正式には花輪違いと呼ばれる小堀家の定紋である事から、遠州好みの切形を示して造らせたものである。 姿はゆったりとした曲線をもったなで肩で、鐶付はわらび、いかにも遠州らしい品格を持った形姿である。
 作者の大西浄清は江戸初期から京都三条釜座において釜作を続けた大西家の2代目で、五郎左衛門と称し遠州の釜師の一人であった。
箱書付に「遠州公御切形御紋附釜 鐶付わらび 釜師五良左衛門 孤篷庵」とある。