小堀遠州 国際性

国際性

伏見奉行という立場から長崎を経由する海外の最新情報を知り、様々な異文化に深い関心を持っていた遠州は、作庭にも西欧の意匠を生かし、また茶碗、仕覆などの茶道具にも舶来品を加えて楽しんだ。ワインなども好んだという。 オランダやアジアへも自らデザインした茶碗などの発注を行った。

祥瑞 洲浜茶碗  

shonzuiL.gif高さ7.8・ 口径11.1・ 高台径7.4
 祥瑞は染付の一種であるが、これは中国明末、景徳鎮窯において日本の茶匠の注文、あるいは五良大甫呉祥瑞の創意によって我が国の茶道具として製作されたものとも言われ、その形姿、釉薬の色調は古染付類とは差があり上作である。 しかし、最近の研究から遠州の好みによって注文されたものが基になっている、というのが定説となっている。 徳川初期の茶人達には特に喜ばれたものである。この洲浜形茶碗は遠州注文とみてよい。 文様に多少の移動があるが数個が現存している。
 茶碗挽家の甲文字は遠州家5代の和泉守正峯の筆跡である。


和蘭陀 半筒茶碗

orandaL.gif高さ8.1・ 口径10.3・ 高台径6.7
 遠州の時代にすでにオランダから陶器が舶来品として我が国に入って来ている事は明らかであり、また日本からの注文により、いわゆる茶陶も製作されていることが近来の研究により解明されてきている。 その多くは、狂言袴文の筒形向付に代表される。
 ところが茶碗になると多くは向付のはなれを見立てるものが多く、本来の茶碗としてのものは稀である。 この茶碗はその意味からも大変貴重なもので、青釉のかかる全体の中心に七宝文をあしらった輪違いが胴にめぐらされている。一部の釉がなだれ状になり、この茶碗の趣を与えている。 全体の姿は遠州の好んだ高取や薩摩の半筒茶碗と同じ気分である。
 内箱書付は遠州筆蹟で「をらむだ 筒茶碗」と記している。おそらく遠州が前田利常あるいは堀田加賀守を通じて注文したものと思われる。