茶の湯日記9月

不傳庵 茶の湯日記 

満つれば欠くる

遠州茶道宗家十三世家元 小堀 宗実 

9月ともなると、通常は「中秋の名月」や、「重陽の節句」などがイメージされるのであるが、今年はどうであろうか。実際にこの原稿を書いているのは7月であり、毎日毎日が酷暑の連続である。

 日々のニュースを見ると、今年は熱中症で亡くなった人が史上最多となっているようである。テレビを始めとするメディア情報は熱中症対策の方法について、さまざまな角度から提供してくる。しかしながら、結局のところ、自分自身で健康と体調の管理をしっかりしなければならないということに尽きるのではないだろうか。加えていえば、今年のような暑さは、いままでの常識を超えているということを一人ひとりが認識しなければならないのである。

 これは今年になって特に身の周りのものとして感じる、自然災害についても同様であろう。「このくらいなら大丈夫」といった、これまでの考え方を改めて、いま起きている状態を、冷静に見つめ、判断することが一番大切であると思う。最近は、この日記で毎回、なんらかの自然現象についてふれているが、本当にいままでとは違うという現実を知らされる毎日である。


 前述の、「中秋の名月」は、元来、旧暦(陰暦)の8月15日の夜に見える月である。名月を愛でる習慣は、平安時代に中国の習慣が日本に伝わったといわれているが、私は必ずしも、そうとも思っていない。もちろん、平安時代に詠まれた和歌には、月の歌は数知れないほど多い。しかしそれは、一概に中国からの影響というだけではなく、日本人古来の、自然との深いかかわりのなかに生まれた感情であるといえよう。日本では中秋の名月だけでなく、9月13日の夜のことを「十三夜」と呼んで、後の名月を楽しむ習慣もある。小堀遠州公においても、月とは数多くのかかわりがあり、八月十五夜や九月十三夜にちなんだ和歌を数多く詠まれている。また自身が見出した瀬戸の茶入にも「広澤」や「月迫」など、月にまつわる銘をつけ、中興名物としているものが多くみられる。そういったなかで、もっとも遠州公の教えとして遠州流茶道に伝わるものが「満つれば欠くる」である。

 翌日から欠けていく月よりも、その前日の月。完全なものに近づいていく生命力の美しさを見る感性である。そして一方では、完全になってしまったことで生ずる慢心をいさめる考え方でもある。人間とは常に謙虚であれ、他の人を思いやり、不足しているものはその部分を、心をもって補っていく。そういう精神が、そこにはある。いま、私たちが失いつつあるものが、この考え方ではないだろうか。もう一度「満つれば欠くる」を肝に銘じて、今年後半を過ごしたいものである。