茶の湯日記

不傳庵 茶の湯日記 

 父と林屋先生 その2

遠州茶道宗家十三世家元 小堀 宗実 

 日本列島は毎日たいへんな暑さが続いている。猛暑という言葉を通り越して、酷暑・激暑といった表現を目にすることも多い。はたしてこれが正確な日本語であるかどうかはわからないが、暑いという事実だけはよくわかる。さらにこういった自然現象の急変のなかで、九州地区では豪雨による災害で多くの死傷者が出た。一日も早い復興をお祈り申し上げる。

 さて今月号も、紅心宗匠(以下、父)と林屋先生(以下、先生)について書くことにする。
 ご両人の交流は、父の茶事、先生の茶会、そして熊倉先生などが加わった本誌座談会や公開討論会が主であった。そのなかでも先月書いたように、父の催した茶事においてのやりとりこそ、二人の関係性をより深くしたものである。おたがいの茶道観や、道具に対してのとらえ方を、ときに穏やかに、ときに厳しく意見を交わしていた。それは水屋に控えている私にとっても、これ以上ないほどの、ご馳走ともいえる時間であった。件の初風炉の灰のこと以来、先生は父の茶事ではいつもなにかしら発見があり、そして感動と教えがあると、あちこちで話されていたと仄聞している。そのなかで有名な話がある。

 ある年の11月末の茶事。これは現在の私も同じなのであるが、宗家では行事があれこれと多いので、口切、あるいは炉開きの茶事といっても、11月に入ってすぐに催すことは難しい。月初には宗家道場の炉開きを欠かすことはないが、茶事とまではなかなか時間がない。また成趣庵の露地においては、紅葉の色づきが例年11月28日過ぎくらいから12月5日までが最高の状態になる。そこでその時季に炉開きの茶事をすることが多い。

 前置きが長くなったが、そのときもちょうど、紅葉が真っ赤に色づいていた。初入の挨拶が終わり、さっそく父は炭点前に入る。現在、遠州流ではこの炭点前は特別に大切にしている。元来、初炭は炉の季節、外気の寒さから席内に入ったお客さまに、まずあたたか味を感じていただき、そして会席の間に湯を沸かすという、効率的な意味をもつものである。茶事のプロローグでもあり、主客の心を和ませる最初の所作事でもあるので、あまり重々しくてはいけないが、さりとておろそかであってはならない。さらっと上品にすることが肝要である。炭道具では香合が一番で、その次に炭斗、羽箒などが続く。このときは、父の羽箒の扱いを先生が絶賛された。羽箒には、鶴をはじめ多くの種類があるが、父はこの年は伝来の大鳥を用いた。この大鳥羽箒は、遠州蔵帳に属するものではないが、なかなかの古作であった。そしてなによりも羽自体が、やわらかくふんわりとしているものであった。手に取って動かすと、いかにもフワフワと鳥が羽ばたくかのごとく動く。父がこれで炉壇を掃いたとき、先生はじめ連客が、静かに唸ったように襖越しの私には感じられた。そしてあとで聞くところによると、正しく本当に一同そうであったとのこと。このエピソードを先生はずいぶんと講演で話されたという。

 これも後日談がある。べつの機会にふたたび父の茶事に訪れた先生。父が炭点前を始めると、羽箒の所作に言及された。「前と少し動きが違いますなぁ」
 父は、「先生があちこちでお話しされるから……」と返す。そしてそのときは羽箒についてはそれまでで終わった。しばらくして私と先生が会ったとき、「宗慶老のような達人でも、意識するんだなぁ」と言われた。そのことを私がなにかの機会に父に話すと、「まぁそういうこともあります」といって笑っていた。私はお茶というものは深いとそのとき感じていた。

5月31日に逝去されました大日本茶道学会前会長 田中仙翁氏には生前東京茶道会を通し、永きにわたりご指導ご鞭撻を賜りました。
ここに慎みて哀悼の意を表します。 合掌