茶の湯日記5月

不傳庵 茶の湯日記 

今という時代

遠州茶道宗家十三世家元 小堀 宗実 

 4月1日に新元号「令和」が発表された。いよいよ新しい御代の始まりを迎える。
 さてこの改元について、喜びと期待をもつ人がいる中、一方では、この際、西暦一本でカレンダー等の表示をしたらどうかといった意見も出た。多用な意見があることは、私も望むところであるし、また寛容なる心を持ちたいとも思うのであるが、この点については、私ははっきりとNOと言っている。現在の日本においては、天皇陛下が新たに誕生する場合に新元号を施行することになっている。これこそは、日本固有の伝統である。私達の生きている中で、変わりゆくもの、変えてゆくべきもの、変えてはいけないものが存在している。普通、不変といっても、時代と共に緩やかに変化するものもある。それは成長というふうにとらえてもよい。また茶道のような伝統文化でも、500年以上の歴史の中で、いろいろな形が生まれている。創意工夫の精神はその代表的なものであり、伝統文化を継承している者にとっては、伝統は革新の連続であるという覚悟が必要である。その意味において、今回多くの国民が新元号に対して好感を持っているということには素直に喜ばしい思いがする。

 前述した固有ということについて最近は極めて希薄化した世の中になってきていると思っている。個性が大切といいながら実はまったく反対の現象が起きている。一時グローバルスタンダードという言葉が何ものにも勝るとされてきたが、最近ではややその輝きを失いつつある。しかしその一方で、チケットレス、キャッシュレス、ジェンダーレス、ボーダーレスなどのレスの時代になりつつある。これも、本当の意味をそれぞれにしっかり理解していないと、重大な失敗をするので、軽々に述べることはできないが、ある一点では、元来別々にもっていた個の魅力がなくなることはいえよう。例えば紙幣にしても、人それぞれ財布の仕舞い方があった。折って畳む人でも三つ折りなのか四つ折りなのか等である。これも考えようには無駄でも、人の考え方がそこにあらわれるものだ。子ども達に正月「お年玉振り込んでおいたよ」など全く楽しくないのではと思ったりする。また、最近ボーダーレス化について考えてしまったことがあった。元々国境がない、境界がないという意味である。私が毎年楽しみにしているものにアカデミー賞がある。これは世界の映画最高峰の祭典である。ところが今年の監督賞を取った作品は、劇場で公開されない、いわゆるネットフリックス映画である。これもさまざまなパターンがあるので一概には言えないのであるが、私にとっては映画館で上映されていない作品が、映画祭で賞を獲るというのはショックであった。

 このようにいま、世界中でいろいろな事が起きている。流れに身を任せてゆくもの、そうでないものの取捨選択は自身で決めるべきである。おわりに私もiフォン愛用者であるが、世界中の人があの一つのデザインのものだけを使っているという現実には、心の中では抵抗しているのである。