不傳庵 茶の湯日記
夜明けから三が日
遠州茶道宗家十三世家元 小堀 宗実
令和初めての正月は、概ね穏やかな年明けとなったようで、喜ばしいことである。宗家の年頭における最大行事である稽古照今 点初めも、東京若宮町の宗家研修道場ならびに福岡の遠州流茶道文化会館両会場で恙無く開催された。そして息つく暇もなく、この弥生になると遠州忌茶筵が目前であり、いまはその準備に追われている。
さて先月号で、大晦日から元旦までの一連の過ごし方を書かせていただいたので、今回はその続きを述べることにする。
成趣庵での除夜釜が終わると、近年はその炭火をそのまま、対酌亭の炉中へと移し、正月用の釜を掛け、元旦零時まで火を絶やさぬよう注意をしながら、しばしくつろぐ。合間をみて、大福茶や供茶の準備なども行っているうちに、いよいよ元旦となる。零時ちょうどに遠州公はじめ歴代にお茶を供え、読経をし、その後大福茶を家族とともにいただくのは先号の通りである。お茶が終わると三々五々、対酌亭をあとにして、それぞれが就寝する。私はそのあともすぐには床に就かず、炉中の様子を見ながら、適当な時間をみはからって埋火をする。最近は正大も一緒にその場にいるようにしている。そして朝まで仮眠をとる。私は七時ごろには起床し、対酌亭に戻る。このときに、対酌亭がほんのり暖かく、釜の煮え音がかすかに聞こえていると、少しばかりほっとする。そして釜をあげ、前年からの炭火が、わずかながらも残っているのを確認して一安心である。今年も、無事に火を守り、そして継ぐことができた喜びである。この気持ちは、きっと私の父も同じであったのだろうと、心の繋がりを感じる一瞬である。炉中の火を取り、灰も清らかなものに替えたうえで、改めて種火を入れて初炭をする。清々しい気持ちである。
家族が一同揃うと、全員でお屠蘇で杯を上げ、お節料理をいただく。浅井家五人も一同に会するので、総勢十一人で迎える朝である。この朝の習いは、三が日とも同じである。お節料理の重箱には、大晦日に用意した錦玉子や栗金団〔きんとん〕をはじめとした手づくりの料理に加え、料理屋さんから届いたお重もあり賑やかである。小堀家の雑煮は、角餅に鶏出汁のオリジナルであり、これは私の子供のころから変わらない。つまり、私の母がもたらした味を継承しているというわけである。お節を食べ終えると、全員で対酌亭でお茶をいただく。これを宗家では、初釜と呼んでいる。私がお点前を始め、途中で浅井や娘達が交代して茶を点てる。正月らしい、のどかな雰囲気である。父が生前に座っていたところにいまは私がいるのであるが、きっとこの風景を楽しんでいたのであろう。お茶が終わると歌舞伎役者の方達などが挨拶に来たり、とにかく正月はなにかと忙しい。この三が日を経て、ようやく点初めとなるのである。そのことはまたの機会に書こうと思う。